おやじの蘊蓄

曾祖父「惣右衛門」幼名「建六」の事
    曾祖父は49歳で先妻と死別した。壮健な曾祖父はその翌年後妻を婚った。
    私のお婆さんである。18歳年齢差があった。翌明治28年12月3日に我が父が
    生まれたのである。元気な曾祖父はそれから留吉、はやと年児で作り明治35年に
    川上二三氏がうまれて終止符がうたれた。
    
    口明方の吉田と言う部落では分家ができなかった。曾祖父は本家は長男の久吉に譲り、
    別の家を建て住んだのである。また面白い地区で、後妻の子供は正当な筋と違うとて
    花嫁「処女」とは結婚出来なかったそうである。我々の母も牧洞へ1度嫁いでから出戻って
    父と結婚したのである。母の実家は長命の血筋と聞いたからである。
    
    父は曾祖父の仕事を継いで大工の頭領であった。市島のお宮の拝殿は颱風で壊れ父が
    修理をした。屋根の樽木の先を唐草模様に削るのに下書きもなく鑿一丁で作ったそうだ。
    横平に母の望みで父のお墓を建ててほしいとの事で、兄弟がお金をだし合って建てたが
    お詣りに行ったが、全く先祖の姿が浮かんでこないので松永修岳氏にその事を申し伝えたら、
    五輪塔を建てるがいいと言われ林業セんターで檜の四寸角を貰い、父の真似して鑿一丁で
    五輪塔を作った。
    これを7月27日の父の命日に建てようとしたら、土用のうちに土をなぶるなと言われ
    土用があけた8月16日に建てた。
    





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