おやじの蘊蓄
木炭ガス発生装置
父は器用な人で頭悩明晰であり、僕が小学1年生のときの家業は自動車運送業をしていた。
5年生の頃にガソリンが配給制になり、父は木炭ガスによる自動車運行を考え、
「和田式木炭ガス発生装置」を考案した。
5年生の夏休みは大阪町の和田梅鉄工所に行き、父の仕事を手伝った。
殿町に渡辺五郎氏を社長とするバス会社があり、白鳥−八幡間のバス営業をしていた。
このバスに和田式木炭ガス発生装置を取り付けて走らせたのである。
6年生の夏休みは毎日渡辺バスのアシスタントを努めた。
白鳥町に着いてから木炭の補給をし良くつついては送風機を回していいガスを発生させ、
運行が順調であるように努力した。夏の事とて竈の所は暑くてたまらない。
余り暑いので竈の一番下へバケツに半分位の水をブッかけてやった。
少し経つと、今までかかっていたエンジンが調子良く吹いてきた。
子供心におかしいなと思い、家に帰り父にこの事を話したら
「子供は子供なりに色々の事を考えて言うもんさ」
と一笑に符した。
高等農林で化学の時間に水性ガスと半水性ガスの事を勉強した。
その時に灼熱した炭素に水蒸気を通じると水性ガス(98%爆発性)が発生する灼熱した炭素に
水蒸気と空気の混合を通じると、半水性ガス(48%)が爆発性であると記してあった。
これを知り白鳥事件の理由が判り終戦の頃の木炭ガス発生装置には殆ど竈の下に水滴が落下する
装置が付いていたが、父も僕が言ったときに真剣に採用していたら巨万の富を得ていたろうに
と思った。
WADA,Hiroyuki