おやじの蘊蓄

山車の笛
    県庁時代の林道設計は我々が現地に行って測量をしたもんである。
    飛騨の山奥に行くと掘立小屋を作り、そこに寝泊まりして自炊生活ををした。
    ランプで電灯もなく、夜ともなれば寂しいものであった。
    山の生活にマッチした楽器で余り重量の無いもの、と明笛を買ってリュックサックの中に
    入れて持ち歩いていた。心安かった高橋鋸屋の隣の伊藤金さんがそれを見て、
    岐阜祭に金屋の山車に乗って笛を吹いてくれと言われた。
    
    伊藤さんはなかなかの笛の名手であった。姿見を持ってきて伊藤さんに形を作って貰い、
    その真似をしながら笛の練習をした。1週間くらいしてどうにかこうにか吹けるようになった。
    自信はなかったが3日の新楽の日に山車に乗って笛を吹いた。
    
    伊奈波神社に向かって行くとき、帰ってくるとき、伊奈波の交差点で方向を変えるとき、
    笛の音はそれぞれ変わっていた。5、6人で吹いていると自分の笛が鳴っているの
    かわからない。伊藤氏が止めたとき僕も止めてみたら笛の音が変わったので、
    僕の笛も鳴っていたんだと判った。
    人の話では師匠の次に僕の笛がなっていたそうだ。
    
    4月6日は山車おろしである。山車の連中の有志は三味線をもち、腰に笛をさして柳ケ瀬の方へ
    「流し」に行った。山車の流しは金を取らんので人気があった。長住町迄流してかえった。
    山車の「流し」は後にやる人が居なかったので僕等で終わってしまった。
    





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